風景・・・。
大学での授業が終わって、駐車場まで歩いていて、あまりにも美しくて、見とれて撮ってしまった風景。
大学への行き帰りには、私が、かなり辛い思いをしていた頃、馴染みのあった場所を通ることになる。
もう、縁もないだろう、とさようならしてきた場所?かなりしんどい想いをしてきた場所を通る。
ところが・・・。
先日、その場所が、えらく慕わしく懐かしく、そうして、その辺りで、こともあろうに、そのことを愛うしむかのように、帰り道、教室の傍のガソリンスタンドに寄って、ガソリンを入れ、灯油を買ってこようと思っていたのに、まるで、その辺りの雰囲気を、わざわざ持って帰りたいように、その辺りのガソリンスタンドに寄って、ご機嫌さんな私がいるのである。
そうである。
その後、思い出を、きれいに塗り替えてくれたのである。
その翌日、私は母にその話をして、呆れられてしまった。
あんた、結構な思いしてたんとちゃうのん?
母は、結構思い出話の中で、辛いことを私に話したりする。
人間関係や、○○のときに辛い想いしたなどと・・・。
いつまでも忘れられないようである。
し、しかし・・・。
彼女の娘、長女は、楽天家なのかもしれない。
そう言えば、娘は、もうすぐ私が結婚した時期の年になるし、その数か月後の自分には、お腹に彼女がいた。
若い母だったなあ・・・。
慣れない土地に嫁に来てしかも3か月後の転勤で同居生活が始まり、全然想像していたのとは違う経験をし、でもお腹の中にいる彼女のために、胎教が大事、私が心を揺らしてはならぬ、と武士のような決死の覚悟で((笑))、お姑さんのご指導の下、せっせとこの土地に合う味付け、切り方、つまりは料理修行をしていた。一方、生活が楽しくなるように、また、夫の仕事の邪魔になりそうな、教師に復活することを半ばあきらめ、ピアノの先生を目指して、練習に励んでいた。今から考えると、ピアノの先生なんて、所詮、私のような人間にできる業ではないと、なんて無謀な、と呆れているのではあるが、それにしても一生懸命であった。それはもう笑えるくらい・・・。
その後も、あれこれ。めでたくいろんな形で仕事に復帰でき、しかも、教壇に立てて、些細な話で言うと、自分のデスクをいただいた時の喜び。入試の採点のときに、自分の割り当てのお弁当があったときの喜びなど、数限りがない。
つまりは、覚えているのは、いいことだけ?なのかしらん?と今、疑い出したが、母と私は明らかに性格が違う。
おかげで、料理覚えたやーん。あの時を思い出したら、なーんも怖いもんないわー、などと平気で言っている。
母は、呆れている。
そのためか、母は最近、なぜか寂しいらしい。
きっと、私が、自立したからよ!などと自分の手柄のように言っている私。自立って、要するに、人生で起きたことを、自分の責任で受け止め、それをあるいは浄化し、浄化しきれないとしても、まあまあ受け入れていく、という意味である。そういう意味で、あれこれ、受容しかけているなあ、と思い始めている。だから、笑い話にできるようになっても来た。あれほどのことをしていて、お腹の中にいたから、彼女は頑張り屋さんなのよ!などと。
だから、母の状態を、遅めの空の巣症候群と違う―ん?と笑っている。
でもさあ、例えば、苦労した、なんて思い出があったとして、それって、自分を鍛えてくれたわけで、同じようなことがあって、これからは耐性ができているわけで、などと思うのである。
実際、人間の感情なんて、分からないことだらけ。数日後に驚いていたことに、私、なんで、あんな分かり切ったことに感動してたんやろなー、なんてことは多い。ましてや数年前になったら、当時の自分の幼さを、可愛らしく思ってみたり、人って面白いなあ、などと思い返したりするだけである。
これからもいろいろあるんだろうな。
ただ、最近、人生を織物のように感じる。私は、ベージュなり、大好きな青色の織物を一生懸命に織っている、そこに、まるでツイードの生地に、いろんな色が入ったり、ちょっと出っ張った、主張した一部があったりなどするみたいに、その違う色や、ちょっとした凸凹は、あるいは横糸は、ほかの人や、何か違う環境、みたいなものかもしれないと思う。人生に、いろいろな人が登場してきて、それに影響される度合いにおいて、生地の仕上がり方が変わる。
だとしたら、私の人生には、多くの人が登場するし、なかなか彩り豊か?((笑))な人生ということになるんじゃないのかなあ、などと、まじめなママちゃん相手に、超・ド・ポジティブかつ、母に言わせるところの呑気な私はのたまうのである(自尊敬語?)。
はっきり言って、大阪から出たことのない、私から言わせれば、世間狭いやん!みたいな母は、私のことをものすごく呆れて見ているのである。
おばあちゃんは、もっと凄かった。
京都に通い始めた私に、あんた、最近、言葉なんやらおかしいで・・・。標準語を話し始めた私に、あんた、何やら最近、言葉、おかしいで・・・。
世間には、大阪弁が標準語の人がいることの面白さに、ケタケタ笑っている私がいる。
きっと、私は、おばあちゃんや母より、絶対彩り豊かな人生を送っているに決まっている。
まるで、高岡の七夕飾りのように!