めでたしめでたし・・・。
明日、高校生の中間考査が終了するはずである。
正直、この一週間は、滅茶苦茶忙しかった。
毎日、長時間の指導があったり、朝から自習室を開放したり、なんだかわからないうちに過ぎていった。
仕事とは無縁の落ち着かないこともあったりして、取材や写真撮影ももいくつかあったりして 、逆に私は、時間を見つけて文章を書くことに助けられていたような気がする。
ピアノで新しい曲を弾き始めようとすると、それはそれなりに真剣に取り組まなければならないから、おのずと文章を書く方に気持ちが向く。
今週は、英単語の深い意味を知る一週間となった、
最近、愛用しているのは、英英辞典である。
今年の新高1生と一緒にお揃え?というよりは便乗して、新しい英英辞典を買った。
読んでいると楽しい。
で、ふと思い出したのである。
私は、受験生時代、英作文が比較的得意だった。
その理由を、今までは、日本語を簡単にすることで、うまく簡単な表現に逃げていたのだ、と説明していたのであるが、新しい英英辞典とお付き合いし始めて、思い出したのである・・・。
母校の高校で、おすすめの英和辞典の中に、英英辞典もあったので、当時、変に生真面目だった私は、ほかの辞書と一緒に英英辞典も購入した。そうそうできるわけでもないのに、ある時期、英英辞典を使って英語の予習をしていたのである。またしばらくして、成績が比例するわけではない現実に直面して、自分の無謀さを思い知り、英和辞典に戻した。
が、しかし、最近、英単語を調べるときに、ほんのわずかなニュアンスをつかみたいがために、英英辞典を使うようになったのである。
これは、高3Nくんと、二人とも、「お互いにいじめ合っている」と称して、英語を競って勉強しているからである。「この○○○○○○って単語の意味知ってますか?これって○○でもいいかえられますよね?」なんて、話題を振るので、「ちょっと待ってよ!○○と違うかなあ・・・。」などと辞書を引き、それでもニュアンスが分からないとき、英英辞典が活躍するのである。で、『見てみー。私が合ってたやん!』などと、子どもじみたことを言ってみたり、あるいは、Nくんが正しいことを認めたりもするのである。彼は、滅茶苦茶英語が強いので、好敵手である。
英英辞典のシンプルな表現に触れて、もしかしたら、英作文が好きだったのは、あの、高校時代の英英辞典にお世話になった時期のおかげかな?と「暗黒時代」?にしていた高校時代の色を、またまた明るく塗り替えるのである。
こういうの、青春を美化するのとは反対のような気がするけど・・・。
青春を美化するというのは、あの頃がよかったであるが、私の場合、あの頃にお世話になった、という感じである。
とりあえず、みんなが高校時代を送っているのに、伴走することで、なんだか私の高校時代の思い出が、まるで修正されていくみたいに変わっていく。なにかに悪者にしていた母校、I高校に感謝し出しているなんて、私って、成長してるやん!とちょっぴり褒めてあげているのである。
ほんま、ドSな学校だったなあ、勉強面で。それ以外は、青春!だった。
そんな話をすると、最近、「いい学校だったんですねえ・・・。」と褒めてもらう。
じゃあ、入ってみられたら、面白かったかも・・・。と私は、なんだか、いろんな個性の集まった高校を、何もかも思い切りできた、というより、思い切りやるしかなかった、逡巡している暇さえないはずであった高校を思い出しているのである。
体育祭の、マスゲームでの一団141人のポンポンのひとつにまとまった音。あれが、母校を象徴しているように思えてならない。
必死だった体育祭。自分で縫った衣装。そのおかげで、誰もお裁縫が苦手な人いないんじゃないかな?と思う。誰かに縫ってもらう、という雰囲気ではなかった。
娘のバトンの衣装を縫って、褒められたときも、かすかに高校時代のマスゲームの衣装づくりに感謝していたような?気もするような・・・。
もういい!この際、鍛えていただいたことは全部一緒くたに感謝することにする!!
ということに決めた!