ウチに来る人たちが驚くこと
ウチに来る人たちがよく感心してくれることに、家事関係の使い勝手の良さがある。結構便利なものが揃っていて、それが動線をうまく使えるようになっていること、そして、洗剤のそれぞれの効用、それから調理器具が揃っている、ということがある。
食器も好きである。
大物を洗濯したくなったら、サッと庭に干せる仕組みになっていて、でも、不在の時には、室内干しで、それも、それなりの工夫をしていて、褒めてもらえると、これでいいのか・・・、と嬉しくもなり、変に納得もできる。
女性が仕事を持つということは、当然家事との競争になりがちである。
どちらに比重を置くか?ということにも当然気を配らなければならない。
私たちの世代は、おそらく、最もそのことに腐心して生きてきた世代ではないだろうか?
途中で中断せざるを得なかったキャリア。
家庭の中でもつい、今までの勉強や仕事と同様に自分に完璧を求めてしまいがちなところ。
子育てがそろそろ一段落してきて、さて仕事を始めようと思ったときの戸惑いや、ワクワク。
どちらに偏ってもどこかで感じていた罪悪感。
結構いろんなものを背負ってきた過程にいる世代ではないだろうか?
昨日、西宮からやって来た母と、古城公園を少し散歩した。
驚いたのは、イクメンの多さである。
私たちの時代では、まだ胸でバッテンのおんぶひもが多かったし、大抵は母親の方が赤ちゃんを背負っていた。
昨日、三の丸茶屋で出会った若いパパさんたちは、皆さん自分の赤ちゃんを胸におんぶひもで抱っこされていた。
大学時代の友人が、それらしきエピソードを話していた。結婚前の若かりし頃である。
スイミングで出会った、新婚のお友達の家に行ったら、部屋の壁に、
仕事がしたかったら、家事を完璧に!
という張り紙があったそうである。
それを、そうそう不思議とも思わなかった世代である。
今の男子生徒にいろいろ聞いてみても、意見は変わってきている。
以前だったら、自分より年収のいい女性と結婚したくない、という意見が多かったけれど、最近は、どうもそんなことどうでもよさそうである。
というより、世帯年収自体を気にしているようでもある。
私たちが、葛藤してきたことって、なんなのだろうか?
いや、私たちの世代があるから、意外に今の考え方に至った若者が多いのだろうか?
男性も、自分のことは自分でできる人が多くなってきているような気がする。
一方、私だって、日本女性は素晴らしいと思っている。
細やかな気遣い。男性を立てる思いやり。
内助の功を信じている世代でもある。
奥さんの支える力によって、活躍されている男性は多い。
若い世代の結婚を考えると、私たちのときとはずいぶん様相が変わってきているようである。
それに、結婚にそうそう憧れがあるのかどうかも、あまりわからない。
私たち世代が、憧れられるような生き方をしてこれたのかどうかもわからない。
これからの世の中はどうなっていくのだろうか?
それでも、自分が、どこか細かくて、あれこれしてもらいたがりな夫のせいで、できることが多くなったことも、そして、お料理を厳しく教えてくださったお姑さんのおかげで、いろいろ作れるようになったことも、私は良い思い出だと思っている。若いころの苦労は買ってでもしなさい、という言葉をどこかで信じている自分もいる。その当時の自分の、今からなら笑えるほどの真剣さも、どこか滑稽な様子を思いながら、思い出しては、バカな奴!と自分のことを笑って思い出している。
でも、感情論から来る、無駄な苦労は、良くないかもしれない。
これからどんな時代になっていくのだろうか?
男女が同権であることはもちろんであるけれど、それぞれの特性を生かしながら、そして、男性は男性であることを、女性は女性であることをもっと楽しめるようになれたらいいな。
私は思っている。
女性は、子どもを産む能力があるのだということ。それは、男性にはない大きな特性であり、それは与えられた大きな権利であると。
だから、もっと出産が、仕事を邪魔することではなくて、仕事を生かす仕組みを作っていけないかなあ、と願っているのである。
出産した時の、喜び。仕事と結婚とどちらか・・・?と悩んでいた世代の自分が、娘が生まれた途端に、絶対こっちを選ぶ!とまで思った、赤ちゃんを産むことの喜び。
その喜びを、忘れることはできないし、仕事から来る、生きている実感も喜びもまた格別のものなのである。
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