クリスマス・パーティーをしよっかなー!?と思いついた私
中三生の女子生徒で、今日自習に来ていた生徒さんについあれこれおしゃべりをしていたら、なんの流れでか、
櫻井先生の手料理が食べてみたい・・・。
との話になりました。
先日から男子生徒は、
先生のから揚げ・・・。
などと言ってくれていて、私は、ぼんやりクリスマス会をしようかな?とは思っていたのです。
コロナ禍が始まったからそういうことはできなかったのですが、そろそろいいかもしれません。
そういえばコロナが始まったその前年は冬期に合宿もしたことがありました。
私の手作りケーキなどとチキンやほかのお料理もどうでしょうか?
などと楽しいことばかり考えております。
今年は中学部の冬期テキストを自分で作ることになりました。全面的に。
そこで、高校部のテキストで必要なものを少し注文した折に、テキスト会社さんにいきさつをお伝えし、お詫びしたのですが、ふと思いついて、薄い国語のテキストを演習用にプレゼントしようと思ったのです。
この件はまだ内緒。
木曜に届くので、私の方が楽しみになっています。
今年は推薦入試組も多くて、受験勉強が早く終わる予定の生徒さんもいます。
全員の受験に合わせて、あれこれ考えているうちに、こういう仕儀になりましたが、毎年いろんな面々に合わせて、いろんな冬の教室の雰囲気があるのは楽しいものですね。
ホーム・パーティばかりしていた年代もあったし、それこそクリスマスを忘れて仕事をしていた若い時代もありました。
職場から実家に帰るのに、ケンタッキー・フライドチキンでチキンを買おうと思ったのに、フライドチキンは売り切れで、スモーク・チキンしか売っていなくて、でも買って帰ったらみんな喜んでくれたこと。
その頃はパリにいた兄がいたら、どんなクリスマスになったのかしらん?と自分に責任があるかのように、チキン調達などしていましたっけ。
ちょうど私が大学を卒業する年に、兄はフランスに旅立ちました。
妹が短大に進学した年でもあるので、兄妹三人にとっては、それぞれに未来に向けてそれぞれが踏み出した年でした。
でも、従姉の子どもたちが小さくて、たまたま職場の近くに住んでいたので、先にクリスマスにお呼ばれして、スノーーマンとサンタさんのお人形を梅田のデパートで選んで、持って行ったこともありました。まだ幼稚園に通っていた可愛い二人は、私のことを、名前で、
まゆみ、まゆみ。
と呼んで懐いてくれました。
母親の言うことを聞かないくせに、まゆみが話すとわかってくれて、従姉には、
真弓なんか、高校の先生させ解くのもったいないわ!初等教育か、幼児教育が絶対向いてるわ!
と嬉しいのかそうでないのかわからないことを言われたりしました。(笑)
そういえば、上の子は、下の子を従姉が切迫流産した時に、世話をしに行って、まだ大学生だったのに従兄のお嫁さんに間違われたりして、いつもは大学しか知らないのに、世間というものはいろいろ広いなと思ったりもしました。
その、玲ちゃんのお世話のおかげで、私は子育てをするときもあまり戸惑わず、楽しくさせてもらえたなと思っています。
玲ちゃんも、杏ちゃんも、私のことは大きくなってもまゆみで通しました。
これは従兄も従姉も、伯母(母の姉)も伯父も私のことを、まゆみと呼び続けていたからです。
この人たちは私が遠方に嫁ぐことをとっても反対していました。
どうも寂しかったみたい。
でも、従兄は、呼ばれもしないのに、
まゆみの結婚式やったら、僕家族で出席するで~!
とノリノリだったものでした。
この従兄は、自分にも妹がいるというのに、私が生まれてからは私が可愛くて、一緒にブドウ狩りに行ったとき(幼稚園に入る前だったのに、なぜか今でも覚えている。)、お昼寝をしているときに、従兄が子豚のような私を、大事そうに抱きしめて眠っている証拠写真が残っています。(笑)
その時々のクリスマスの思い出ってあるものです。
そのうちの1ページをチェリーでのクリスマスにしてもらうのもいいかな?と思っています。
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