バレンタインデーに兄を想う。
どうしても今日、チョコレートと絡めて、兄の話をちょっとだけでもしたかった私。
どこでどういう具合に話題にしたかはおいておいて、とりあえず兄の話題をちょっとだけ持ち出すことができて嬉しかった。
チョコレートと兄を絡めて話したくなるのには理由がある。
フランス料理のシェフであり、パティシエである兄は、若い時代にパリへと渡った。
フランスやイタリアを渡り歩いて、料理の修業をしてきた兄と久しぶりに会ったときには、地元大阪を離れたもの同士、私などたかが日本国内とはいえ、違う土地に馴染むための努力の過程には、相通ずるものが多かった。
父が兄に対して厳しい態度を取っていた面もあって(サラリーマンの父と料理人の兄の間には、ちょっとした確執があった。)、父が余命短いとわかったときには、私が間を取り持って、なんとか家族で楽しく食事ができる・・・、というところまでこぎつけた。兄が東京から新幹線で大阪まで来てくれたとき、少しでもおいしいお菓子を・・・、と思ったのだろう。
大阪には高島屋にしかない、というチョコレートとマカロンを買うために、わざわざ大阪で寄り道して、家族の分のチョコレート菓子を買って来てくれた。
父と兄が対面するというので、私としては冷や冷やもので、富山から車で大阪まで行き、夜中車をぶっ飛ばした私が朝実家にいるのを見た父は、
なんで真弓がおるん?えらいたいそうなこっちゃ!
とか言っている。表現の下手な父の言葉は、本心ではないと知ってはいても、胸塞がるような思いがした。
父と兄の会話がどうなるか怖くて来たのに・・・、と思ったけれども、こういう時は、真ん中っ子の私の力はなかなかなものだと自負しているだけあって、その場は何とかなり、おいしくみんなでご飯を食べて、デザートに兄の持って来てくれたチョコレートのお菓子を食べた。
ティラミスとチョコレートムース、それにマカロンがとてもおいしかった。
そのときの家族の雰囲気が、父が亡くなる前の、なんとも穏やかな豊かな時間に思えて、私には最高の思い出になった。
その後東京から兄も姪も再び足を運んでくれて、私は嬉しかった。
父の病気に関して、私は兄にもあれこれ相談した。
兄もかつて違う部位で同じ病気になり、完治しているとは言うものの、入院したことがあったからだ。
○○は辛いよ。とか、入院する方法もあるんだけどね。などとあれこれ教えてくれた。
それが私にはとても嬉しかった。
思えばバレンタインデーには兄との思い出がある。
正直イケメンだった兄は、バレンタインデーにはチョコレートをたくさんもらったものだった。
それなのに、若いころは兄はチョコレートが好きではなかったから、そのもらったチョコレートは、全部私と妹のところに来るのだった。
兄の華やかさは羨ましかった。たくさん友達もいて、小さいころから誰にでも可愛がられて、いつも目立つ存在だった。
茶目っ気のある母は、私の晴れ着を兄に着せたら、腹の立つことに兄はとってもかわいい女の子になった。
その後、女の子に間違えられる息子に、姉が生まれたときにもらった、クリスチャン・ディオールのピンクのカバーオールを着せて、仲良しのお家にお呼ばれした時に連れて行った(そういうことをしても一緒に笑ってくれる関係だった。)こともあり、血は争えないと言えば言える。
父とは何かに正反対。
真面目な父と、どこか要領よくて華やかな兄。
住まいだって、東京の高層マンション。姪はアルマーニの制服で有名になった小学校に通い、そして、熊谷達也さんのスタジオバレエのレッスンを受けていた。小さいころから携帯電話を持たせて、安全管理をしていたらしい。
兄の子煩悩さは驚くばかり。そりゃあ、若いときにパリにいたりしたら、それなりに考え方もおしゃれにもなるだろう。
姪は芸術の方に進み、夜遅くまで課題をやってる、とか、ディズニーランドでバイトしてる、などと、子供の育ち方までどこか華やかである。
それに何より、兄が子どものことを結構細かく知っており、正直びっくりした。
父親が大学生の娘の生活をそこまで知っているなんて!?
2人で歩くときには手をつないでいるらしい。
まあね、美人な姪とイケメンな兄。正直、確かに絵になるけども・・・。
父と母の3人の子どもたちもてんでバラバラな進路を歩み、孫たちも本当にそれぞれである。
でもどこかそれぞれの親に似ていると言えば言えるかな?
兄との思い出がどこかに関係あるのだろうか?
私は毎年、もらったチョコレートの数を自慢することにしている。それが毎年の恒例。
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