仕事の打ち合わせ
今日は、午後一で、ZOOMでの仕事の打ち合わせがあった。
だいたい、誰かからのお電話で、この話はあんまり乗り気ではないな、と思ったときには、すぐにやめよう!と思うのだけれど、電話の話で、ああ、これはうまく伝えてくれそうだな、と思ったときには、そのお話に乗ってみる。
何かすることに対して、あれこれ言うのは勝手であるけれど、それぞれの価値観が表れているので、それがいいことになるのか、そうでないのかなんて、やってみなければわからない。
自分が苦手とするところは、誰かの手をお借りしなければできないわけであって、その人の仕事をこちらとしても、きちんと評価したいし、そのための協力は惜しまないし、それは、こちらにも跳ね返ってくることなので、私はできるだけ手を掛けようとしてしまう。
だいたい、自分で何もしない人は、あれこれ批評だけをする。
そして、失敗だけを笑う。
自分の足で歩いたことのある人ほど、誰かの努力を、うまく行ったことだけではなくて、うまく行かなかったことまでも、称えたりする。
若いころ、ある、大企業にお勤めで(別に大企業にお勤めだから尊敬していたわけでもないし、私が好ましく思っていた、とかいうのでもない。)、その時の入社の際の面接時のお話までお聞きしたことがあった方がいらして、人間的に素晴らしい方として有名な方と出会った。
私が教育方面でしていた活動を見学に来て、さして大したこともできていないのに、いや、結構できているよ・・・、と言ってくださったが、その後で来られた2人の人は、後で聞いたら、ご自分たちはさして何もしていない人たちが、女だてらに、それなりにリーダーシップをとっていた私が気に入らなくて、あれこれ嫌なことを言っていたらしい。
そのときに気づいたのである。
ご自分が努力して、苦労して、何かを成し遂げている人って、人の努力に敏感で、そこに至るまでの、誰かの苦労に思い至るけれど、自分で何もしていない人の方が、ただ、批判や批評に徹して、あれやこれや偉そうに言うものなのだということを。
それ以来、誰かに批判されることもあまり怖くなくなった。
だいたい、ご自分があれこれできている人は人の努力に敏感だし、叱る立場に立って、尊敬されるとも思っていない。できることを見つけて、褒める方が、良好な関係をもてることを知っている。
注意することを特権だと思い、自分の力を誇示する方法だと思っている人は、正直痛い。
自信のない人ほど、誰かに注意したがるものだ。
さんざん、それまでにできないことを指摘してこられているかもしれない人に、さらに注意することって、意味があるのだろうか?相手は委縮しておしまいである。
その相手の立場まで、時には合わせて、下がって?アドバイスをするなり、ちょっと適切な言葉を探しもして、その相手の心に響くような工夫が必要である。
それに、自分が注意ばかりされてきたから、先輩になったから、あるいは自分が上司になったから、後輩や部下に言いたい放題言う・・・、というのもおかしな話である。
導く側が、相手の心に届くように丁寧に伝えなければいけない。
全然違う話から始まったけれど、ときに思い出してしまうお話。
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