女性は美しくしていましょうね!ー待ちながら、フランクルを読んで、美容室の片隅で泣いてしまった私。
先日、髪の毛の色を気にしてばかりいる母が、どうかした拍子にウェーブが掛かって見えて、少し若々しく見えたことがあり、「できたら、パーマを掛けてみたら?」と提案してみた。
そうね・・・、とその提案に乗ってくれたので、すぐに美容室に予約を入れた。
いつも通っていたのだけれど、私は予約をして美容室に行く、ということがちょっと難しく、いつも、明日!ということになり、予約をすぐに入れられるところを頼ることになってしまったので、代わりに私がお世話になっていた美容室に行ってもらっているというわけである。
足腰が弱っているので、シャンプー台に上がって、寝る状態にできるかどうか?ということが懸案事項だったけど(予約しておいて、できなかったら、シャンプーやリンスを購入しようと思っていたけど。)、難なくクリア。
私は、パーマを掛けてもらっている母をお任せして、外に出て、車の中から、業者さんとのやり取りをし、指示出しをし、それなりに仕事をして、その後は、フランクルの『それでも人生にイエスと言う』を最後まで読むことができた。
泣けてくる一節があった。
美容室のソファで、涙を流している私。
何度目かに読んだのに、今までは、平易な文章で、内容が入ってきやすいなあ、としか思えなかったのに、こんなに新たに感動しているのはなぜだろうか?
新婚の妻とお互いに収容所に入れられる時、夫は妻に言う。
何としてでも生きながらえてほしい、と。
その意味を妻はすぐに理解する。
収容所での生活に、ナチ親衛隊からの暴虐は、目に見えている。
すぐに、妻の美しさが、親衛隊の目に留まることは明白だったから、その相手をしてでも、命を守るよう、夫は願う。
その一節を見逃すはずはないはずなのに、私はどうしていたのだろうか?
自殺をしてはならない、ということと、姦通することなかれ、ということに矛盾が生じると考えたフランクルは、まず先に、生きるための手段を認めると同時に、認めなかったら、妻の死に連帯的な責任を負うと考えたのである。
あまりにも論理的に妻に願ったフランクルであるが、それは感情の発露とも言える。
究極の場面に立った時、人は誰もがこう言えるだろうか?
フランクルが、自身で述べているように、超楽観主義者だからだろうか?
私は、最初、フランクルの文章を明るいものだと感じずにはいられなかった。
でも、何度目かに読んでみて、どうも、なんともけなげで、絶対に生きる希望を捨てない、決死の覚悟を感じ(戦後、ロゴセラピーを続けていたけれども。)、私は、なんとも言えない気持ちになるようになった。
生きるとは、真剣に生きるとはこういうことか?と思う。
フランクルの解説者による参考文献を、以前から入手したいと思っていたけれど、私は、相当値が張るものには手を出せないけれど(専門ではないし。)、まずは中古で手に入るものから、注文した。
今日、その本が届いた。
ほぼほぼ新品の本を、新品の半額で入手できた。
専門ではないけれど、この本を読むことは、生徒さんたちに生きるということを伝えるのに、大いに役立つことだろう。
先日、あることについての参考文献を、専門家に教えてもらいたい、と思っていたけれど、そのための参考文献と考えても、結構フランクルに集約されるような気もしている。
ここに答えがあるよなあ・・・、と思っている。
知の巨人であるドラッカーは、経営者として出会った。
フランクルは、大学時代から読まなければならないと思っていたけれど、ホロコーストについて読むことが辛そうで、避けてきた時期を経て、10年ほど前に出会った。まずは新訳で読んだ。
そして、稲盛さんは、どこにでも持ち歩いてきた。
久しぶりに、本当に考えさせられもし、感じさせられもした読書であった。
最近、本を読む時間が少なくなってるし、集中力も低下しているようではあったけど、この本は、本当に中に入ってしまった。
昨年の指導の余韻が残っていて、まだまだ精神的に疲れていた今年度の前半戦は、本を読む気力もなかった。
やっと、自分の気持ちが落ち着いてきているような気がしている。
ここ数年の、どうしたらいいのか・・・?ということに、ようやく答えが出始めてきているような。
コロナの前年から、いや、その一年前から、気にしていた方向性に、少し落ち着きを見せているような。
母は、白髪のまま、ウェーブをかけて、そのウェーブがうまく光の反射につながるのか、とても美しくなった。
まるでモヘアの毛糸のようで、今日出掛けたときには、周りの皆さんに、可愛くなった、いや、可愛いだなんて、失礼かもしれないけれど・・・、だなんて褒めていただいたようで、喜んでいた。
女性が美しくいることって、周りを元気にする力があるような気がする(まるで自分は女性ではないような言い方だとは思うけど。)
一気に可愛くなって、母らしい知性も感じさせられる。
第一、ちょっとしたことで、とってもやる気になって、生き生きして見える。
良かった。
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