競争には勝たなければならないけど、それでも持っていたい徳性について。
受験にしても就職試験にしても、関門を潜り抜けなければならないという点においては誰しも競争に勝たなければならない。
その目標があるなら、当然それに向かって努力する必要があるし、競争に勝てる自分でなければならない。
とはいうものの、勝つためには何をしても・・・、というのはどうかと思う。
やはり品格というもがあると素敵だと思う。
自分のことに必死でも人のことにも配慮できる人の様子を見ていると、私はホッとするし嬉しくなる。
思いやりがあって、洞察力があって、人にも気づかれないような深い思い量りがあって・・・。
先日、『十訓抄』の中の説話を読む読解問題があったのだけれど、その中に登場する仏師の姿がとても好ましかった。
白河院の時代、ある九重の塔の金物が、牛の皮でできたものだという噂がたった。
責任者である定綱の朝臣がある仏師に、塔に確認上っててくるように命じる。
そのとおりにしようとしたものの、仏師は途中で降りてきて、
とても怖くて上がれません。身体あってのものだねで、おかみにお仕えもできますが・・・。
と震えわなないて謝った。
そのおかしさにお咎めもなく、そのの話は立ち消えになった。
その仏師を大バカ者だと騒ぐ方に目が行ってしまって・・・。
それを聴きつけた、白河院の側近である顕隆卿が
いやいや、そいつはとんでもない優れたものに違いない。人が咎めを受けると聞いて、そうならないように、わざわざ大バカ者ということになって、庇ったのだろうよ。かならずいいことがあるだろう。
その通り、それ以降、何事もなく白河院にお仕えしていたということである。
私はこういう人が好きである。
人のために泥をかぶっても、それでもいい人。
でも、そういう人って、必ずいいことが起こるんだよなあ。
とは人生経験が思わせてくれる。
人のためになることをする人って、そのままではない。
自分の欲を捨てきった先にご加護を顕隆卿は見抜いておられたけれど、仏師自身はそれを自覚してのことであったのだろうか?
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