自分の子育てが間違っているのではないだろうか?と悩んでいるうちは正しいという話。
今日、ツイッターで素敵な内容の投稿を見つけました。
自分の子育てが、合っているかどうかわからない間は、その子育ては合っているのだそうです。
その昔、まだ娘だけだったころ、私は娘と歩いていて、新米母の自分のことを思って、本当にしっかりと子育てしているのだろうか?もしかしたら、この子をほかの人が育てた方がうまく育ててくれたりするのだろうか?とよく思いました。
ひとときも離れたくない可愛い娘でした。
それが証拠に、赤ちゃんの娘が寝ていても可愛くて、早く起きてくれないかな、と思うほどで、起きていても可愛かったのです。その真剣さたるや、同性の子どもだからか、初めての子どもだからか、決して粗末にしているわけでもないけれど、息子より、娘の方が肩に力が入っているという点では、大事に大事に育てていたように思います。
ひとときも息が抜けない、とでもいうように。
年中行事も大事にしました。
初めてのお雛様の時にも力が入っていたのを思い出します。
私でいいのかな?
母親なのだから、それは一番いいに決まっていますが、それでもどこかで不安でした。
それでよかったのだ、と今日思えました。
以前、私毒親だったのかしらん?と訊いたら、もう卒業した生徒が、
小さいときに、それをお子さんが、親御さんに直接言っている段階で、つまりはそれを言わせている段階で、先生は毒親ではありません・・・。
と言ってくれました。
毒親、ってすごい表現だと思いますが、この、しっかり定義されていない、学術用語ではない言葉を知ってから、ずいぶんと自分の親としてのチェックの仕方が楽になったのかもしれませんが、それでもずいぶんな言葉です。
私も毒親かしら?と思うときの、毒、という言葉の重みったら・・・。
だからこそ、今日、ツイッターで、不安になっているうちは大丈夫・・・、という言葉を読んで、幾分ホッとしたということでした。
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