自己肯定感の低い人の特徴を教えていただいて。
自己肯定感の低い人は、自分では何もできないと思っているから、周りの人に何とかしてもらおうとする傾向があるのだそうだ。
言われてみればそういうことなのかもしれないなあ、と思った。
高齢と言っていいのかわからないけれど、ある長男である男性に、母親が、
私、これだけしか食べられないのよー。
と手でどれほど少ないのかを差し示されるのを目撃した時、なんともおかしな気分になったことがあった。
優しそうな息子さんは、まあまあ、と何も言わずに聞いておられた。
まあ、息子に甘えている図であろう。
でも、一人前になった息子、それも妻子のいる息子に向かって、そういう態度というのは、お嫁さんはどう思うのだろうか?
子どもたちが自立する頃には、親世代も、それなりに自立したいものだと思う。
いろんな自立があるし、もちろん頼るべきところは頼ればいい。
けれども、とにかく状況を動かそうとだけするのは良くないな、と思っている。
私には、周りに頼る、という気持ちがあまりない。
頼る気持ちがないのではない。
自分で精一杯工夫してみて、そのうえで、誰かの力を貸してもらいたいときは貸してもらう。
でも、できることまで自分のできることまで人に頼って、自分自身の自立を放棄する気もない。
しっかりしていたいと思う。
人の人生を羨ましがったりするのを聞いたりもするけれど、今の状況も、楽しさやそうでないのも、今までの自分の姿だと思う。
だから、毎日を精一杯生きていたいと思う。
当然、弱ったら、周りの手を借りることにもなるだろう。
でも、とりあえず自分の生きている日々を感謝しながら、自分のできることはしたい。
かつて新卒で勤めた学校で教わった。
何もできなくなんかない。
仮に高齢で入院していて、何もできない身体であっても、看護師さんを思いやって、体温計をティッシュでふくことなどはできる。何ら意味ないことであったとしても、気持ちが伝わる・・・。
今なら、当時とは違って、電子体温計になったから、もしかしたら、ただ時間が掛かるだけのことになって、本当に無意味なことになるかもしれない。
でも、自分が生きる意味を自分で考えて、少しでも周りの役に立とうとしていたなら、自分の人生はやはりより豊かになって行くものだと思う。
せめて、自分にしてくださる思いやりある言動に対しては、感謝していたい。
それが仮に自分にとって都合の悪いことであったとしても、それが誰かの誠意に基づくものなら、私は受け入れたいと思う。
まだまだ働いていたい。
若い人と関わっていたい。
できることなら死ぬまで。
そんな中で、自分の在り方を見つめているときがある。
どう生きていこうかな、と。
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