誰だっていい人でいたいけど、いられなくなるということは?
い人だな、と思える人って、よほどできていない人でない限り、その人を取り巻く環境が、いい人でいられる、そういう環境にいる人だと思う。
大学時代の友人が、
お金持ちだったら、いい人でいられると思わん?
と体育の時間に言っているのを聞いて、なんてことを言うんだ!
と呆れていたけれど、最近のあれこれ理論を読んでいると、そういう一面があることも否めない事実なのだなあ、と思えてきた。
私たちの世代でも、あれこれある。
かつては素敵にいい顔されていたのに、どこかでばったり会ったとき、エエッ!?というご様子だったりして、正直こちらがどうしていいかわからなくなることもある。
数年前、ある場所の駐車場に車を停めて、あまりきちんと停めないまま、スマホに掛かってきた電話に出ていたら、その前の車はササーッと出て行かれたのに、そのお次の車が、通りにくそうにされて(私は相当反省したのだけれど。)、その車高の高い運転席から、思い切りにらまれたそのお顔に覚えがあり、びっくりしたら、知らなくはない方の奥様だった。
どうしてそんなお顔をされていたのかわからない。
でも、苦悩ありげで、私に対してのものではないにしても、とんでもない怒りを含んでいた。
そちらにしあわせな出来事があったということを知っていたので、どうして?と不思議だった。
その方にも何かおありだったのかもしれない。
誰かが、今までとは違う様子で対応されるようになったら、正直寂しい。
自分に原因がなくとも、寂しい。
自分の心で何とかなることとそうでないことがあるだろう。
嫌なことがあっても、自分の強く持とうとして、それを外に見せない人がいたとしたら、それは相当修練のできた人であろう。
自分で自分を育てることは大事なことである。
それでも追っつかない出来事があったときに、その人の真価が現れるのかもしれない。
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